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2015/01/17 (Sat) 文楽「関寺小町」人間国宝能楽師の訃報

先日の初春文楽公演のトップ「花競四季寿」で「関寺小町」を舞う幕がありました。
そして,帰宅したら、夫が「博太郎さんが亡くならはった」と。
博太郎さんとは、人間国宝の片山幽雪さんのことです。
私が驚きを隠せなかったのも、そのはず。
この演目の偶然に加えて、氏は亡くなった夫の母のお謡いの長年のお師匠さんだったからです。
新門前のお稽古場に熱心に通い、師の舞台に駆けつけ、
一門「幽謡会」の舞台にも立った母でした。
幽雪さんのお嬢さんである当代の八千代さんに偶然,昨年ウチの近くでお会いすることがあって、母の話を夫といたしましたところ、
「ああ、Kさんの!」と、思い出してくださいました。
このお嬢様が誕生の際には一門でお祝いをさせていただいた際の内祝いの舞扇が遺っておりますこともお話したことでした。
この29日に観世会館で執り行われる告別式には二人でお別れに伺おうと思っています。
能の「最奥の秘曲」の一つとされる「関寺小町」で小野小町を演じる片山幽雪の記事が朝日コムに出ております。
追記をご参照いただければ嬉しいです。

***画像は朝日コムより拝借しております。
以下、朝日コムより転載
片山幽雪
1930年、京都生まれ。父は観世流片山家八代目当主の博通(八世九郎右衛門)、母は京舞井上流家元で後に人間国宝となった四世井上八千代。36年に初舞台。父と観世華雪、雅雪父子に師事し、伝統を重んじる精緻(せいち)な芸を磨く一方、54年には武智鉄二が演出した能様式による舞台「夕鶴」に出演し、つうを演じて話題となった。
85年に九世九郎右衛門を襲名。能楽協会理事長、京都観世会会長などを歴任し、後進育成や能楽の発展に努めた。95年に日本芸術院会員に選ばれ、2001年には母に続いて人間国宝に認定された。
02年に「関寺小町」を初演。「姨捨(おばすて)」「檜垣(ひがき)」と合わせ、能の演目でも至難とされる「三老女」をすべて演じた。09年に文化功労者となり、観世流宗家の観世清河寿(きよかず)さんの意向で芸事総監督といえる「老分」の重職につき、功績を認められ「雪号」を贈られた。10年に長男の清司さんに片山家の当主を譲り、自身は「幽雪」と名乗った。清司さんは11年に十世九郎右衛門を襲名した。長女は五世井上八千代さん。
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以下、朝日コムより転記
ーーーーーーーー
140年ほど前、片山家六代目の晋三と井上流の三世八千代が結婚したのが始まりです。私の父の博通は八代目の当主で、母の愛子は四世家元でした。
今は息子の清司が九郎右衛門を襲名し、娘の三千子が五世家元。家には30畳ほどの敷舞台があって、私と息子、娘が稽古やらでいつも取り合ってます。
 ――芸歴はまもなく80年です
 教わった通りにここまでやってきた。感慨深いというよりは、振り返ってみて、長いことやらせてもろたなと思う。
 ――能の演目の中で「最奥の秘曲」と呼ばれ、技量や精神性、品格で最高級のものが求められる「檜垣(ひがき)」「関寺小町」「姨捨(おばすて)」の「三老女」を、合わせて10回以上も舞っています
 老女ものというのは、例えば「関寺」だと百歳(ももとせ)の小野小町が登場するといった具合に老女が主役の曲です。
 「関寺は一生のうちに1回やる」「三老女の一つは残して冥土でやる」とも言われていて、それぐらい大事にされている。私はたまたま機会を得て、檜垣は4回、関寺は3回、姨捨は6回やらせていただきました。
 ――関寺の3回は、観世流としては明治以降では初めてで、それより前も、能をたしなんでいた豊臣秀吉ら歴史上の人物など、わずかだそうですね
 
 謡(うたい)が難しいのはもちろん、しぐさや歩き方が自然に老女になっていなければあかんのです。老人というのは若い人とは違って、歩くのにつま先をあげられないでしょう。太ももから歩いていくんです。ただ、そうやってつま先を上げないままだとうまく舞えない。
 40代で初めて舞ったんですが、色々考えてやっていました。でも、それではあかんのでしょうね。80歳を超えてぐらいからですね、あんまり考えなくても老人の足の運びになってきたのは。私も年寄りになったから自然になってきたんですね。
 能には演出家はいない。昔の型どおりしていては見ている方も退屈する。自分で考えて、時代に合ったものにする。そうやって600年以上続いてきた。
 ――そんな能の魅力とは
 昔の名人は舞台を見ていて、その景色も見えるようだった。自分ではそういうようなことがなかなかできませんね。
 世阿弥が書いた「風姿花伝」に「まことの花」という言葉があります。
 ――世阿弥は能楽師の本質や象徴を「花」に例えていますが、中でも「まことの花」は「咲く道理も散る道理も心のままなるべし」と記した能の神髄と言われるものですね
 まことの花が何であるかすら、よく分からない。でも、それを追い続けたい。先は長いですね。
 (聞き手・向井大輔)
     *
 かたやま・ゆうせつ シテ方観世流。1930年生まれ。本名は博太郎。36年に初舞台。2001年に人間国宝に認定。

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