2017/07/04 (Tue) 能の舞台を訪ねる  「巴」義仲寺

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巴御前ゆかりのお寺  大津の粟津、義仲の終焉の地、義仲寺にお墓があり、
また義仲を愛した芭蕉ゆかりのお寺とも
能の舞台の名所巡りの一つなり。
雨に遭わず、晴れて来ましたから、順調に義仲寺に行くことができました。
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受付で丁寧な説明をうけ、ゆっくりお参りして来ました(^ ^)
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義仲と腹心 今井兼平



巴御前は時代祭で人気の女武者!

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義仲と芭蕉
義仲が好きだった芭蕉
遺言によりここに埋葬された。
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いい機会を得てお参りがかない、来月の巴を鑑賞するのにも役立ちます。

参考 
ネットより引用
📑芭蕉51歳、元禄7年(1694年)10月12日、御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」の離れで永眠した。
御堂筋・南御堂前の緑地帯の中に「此付近芭蕉翁終焉ノ地ト伝フ」という銘の石碑が建っている。 碑の右横に昭和九年三月建立 大阪府」とある。
芭蕉の臨終の様子は、其角の『芭蕉翁終焉記』、支考の『前後日記』や路通の『行状記』などにある。肥後の国の僧侶文暁は、芭蕉の終焉前後の様子を門弟や縁者たちの日記と手紙により再構成し、芭蕉臨終記『花屋日記』を創作した。芥川龍之介はこの『花屋日記』を土台にし『枯野抄』を執筆した。
10月12日、芭蕉の遺骸を乗せた舟は夜のうちに伏見まで下り、翌13日の朝、伏見を立って昼過ぎ膳所の義仲寺へ到着した。 14日には葬儀が行われ、同日深夜になって境内に埋葬された。葬儀に参列した門人は80名、会葬者は300余名にのぼった。芭蕉の忌日は「時雨忌」などと呼ばれ、旧暦の気節に合わせ毎年11月の第二土曜日に法要が営まれている。(義仲寺案内より)
芭蕉は生前、「骸(から)は木曽塚に送るべし」と遺言していたという。📑
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